電化製品の最近のブログ記事
ブラザーミシンです。見たところ,昭和30年代だと思います。レトロなデザインと黒い色が歴史の重みを感じさせます。
小学校の頃,ミシンは不思議な機械でした。だから,その仕組みを知りたかった。特に下糸の仕組みが不可解で,ボビンを外したり入れたり。しかし,小学生の私にはミシンの全容は分かりませんでした。小さな手に乗せたボビンとそのケース。その質感と重さに謎は深まるばかりでした。
土佐山田町のゑびす商店街で「ゑびす昭和横丁」という催しが行われているとのことで,レトロを探しに出かけてきました。少しヤレていますが,昭和のデザインのナショナル炊飯器です。
この催しでは,昭和の時代の給食とライスカレーが食べられるということで期待していたのですが,「売り切れです」と言われてしまいました。Oh my God!ですよ。目玉商品が売り切れでは駄目だと思います。
町の活性化を図るために昭和をテーマに持ってくるのはいいことだと思いますが,それなりのプランニングをして,商店街全体で統一したコンセプトを持ち,細かい部分まで詰めてお客さんを迎えないと,PRのつもりが逆効果になってしまいます。
帰りに日曜市の「ふく福堂」さんに寄って,
柿をもらい,
少し気持ちが秋めいた日でした。
昭和のミシンはこんなふうに電球をオプションでつけていました。レトロです。針先を明るくするための策です。デザイン的にも似合っていると思うのは私だけでしょうか。
あの頃は,小学校の先生から雑巾を作って持ってくるようにいわれました。学校も予算がなかったのでしょうか。大抵は使い古したタオルや手拭いをミシンで縫って持っていくのが常でした。そして,その雑巾で教室や廊下の掃除をします。木造の床はトゲが出ていたりしているので,雑巾をかけているときに指にそのトゲが刺さることはよくありました。トゲが奥深く刺さって取れないときは,裁縫の針先をマッチの火で焼いて,針先で掘り出しました。それくらいのことでは赤チンは使わなかった気がします。
昭和42年に発売されたソニーの世界初の超小型ICラジオ,ICR-100の広告写真です。製品がレトロなデザインです。思わず欲しくなってしまいます。
電子回路を集約してボディの重量は90g。なんとバッテリは充電式のニッカド電池で、1回14時間の充電で約6時間の連続使用が可能。SONYはすごいですね。よく見るとこの小さなボディにスピーカーが入っているのが分かります。定価9,800円。
真空管ラジオが鎮座していた昭和20年代。その後トランジスタラジオができ,そしてICです。東京オリンピックから3年。日本全体が大きく発展していた時代の産物です。
そして,今やだいたい同じ相対価格でワンセグラジオが買える世の中になりました。こちらは107g。
昭和レトロなデザインです。昭和40年代後半の紙袋です。ナショナルの「パナカラー」が懐かしい。「クイントリックス」はステレオ放送のことですね。昭和の時代には「音声多重」と表現していたかもしれません。坊屋三郎さんが外人とやりとりしていたCMが流行りました。
カラーテレビの本放送は昭和35年に始まりましたが,まだまだ庶民の家にはカラーテレビなどなかった。カラーテレビの普及は,やはり昭和40年代に入ってからのことでした。あの頃,各メーカーはテレビに漢字の名前を付け,カラーに片仮名の名前を付けました。ナショナルの「嵯峨」は「パナカラー」,三菱の「高雄」は「ネオカラー」,サンヨーの「薔薇」は「サンカラー」,東芝の「名門」は「ユニカラー」そして日立の・・・日立のテレビに名前がついていたのを思い出せません。カラーは「キドカラー」,あの九官鳥みたいな「ポンパ」くんを思い出さずにはいられません。
素敵な昭和の写真です。今夏の「暮しの手帖」に掲載されていた写真ですが,ミシンを踏んでいる女性は植田紀枝さん。写真家の植田正治氏の奥さんであり,撮影したのはもちろん植田正治氏。私は先日「三菱ミシンの広告」という記事を書いたばかりです。
私は二十歳の頃,植田先生の写真講座に参加していました。先生はベス単と呼ばれるカメラを駆使して,味のある写真を発表していて,かなりの有名人でした。先生の撮影した写真に三菱ミシンを踏んでいる奥さんが収められている・・。驚きとともに不思議な思いがします。1983年紀枝さんは亡くなり,正治先生も2000年に鬼籍に入られました。
ベス単とはベストポケットコダックという大正時代に作られたカメラで,今もファンは多いと思います。
CANON AF35MLです。昭和のデザインです。すごいことにF1.9です。試し撮りをされている方がいます。
うちには昭和40年代の黒電話がある。私にとっての「黒電話」といえばこのデザイン。レトロではないですね。
昭和30年代。電話のある家は本当に少なかった。昭和40年代になって普及が始まったけれど,近所の家に緊急のときの呼び出しをお願いして,お借りしているのが普通でした。まだ近所同士で夕食のおかずのおすそ分けが日常だった時代です。
うちに電話が引かれたのは昭和45年前後です。その時の黒電話がこのデザインです。あの頃は電話に座布団を敷き,受話器に洋服を着せました。敷き物とカバーです。紺地に小さな白い犬がたくさん並んでいるデザインでした。今でも似たデザインは多いですよね。
深夜に女の子とよく長話をしました。受話器を持つ腕が痛くなりました。いったいなにをあんなに永い時間話していたのか,思い出せません。市内通話だったら,まだ7円で時間制限なく話せたと思います。調べてみると,時間制が採用されたのは昭和47年11月からです。7円/3分です。昭和51年には10円/3分になりました。
三菱ミシンのレトロなデザインの広告。昭和36年のものです。
昭和30年代は母親が内職をしている家庭が多かった。うちも例外ではなく,母親はモンペを家のミシンで縫っていた。外で遊べない雨の日は飽かず眺めたミシンの針。何故,糸があんなに紆余曲折した形で道筋を作っているのかが不思議でしようがなかった。青い記憶。
私の家にあったのも三菱ミシンではなかったかと,記憶の端を辿ってみる。金色の「MITSUBISHI」に妙に見覚えがあるのです。あの頃はジャノメ,シンガー,ブラザー,リッカー。工業用でJUKI。色々なメーカーがありました。
「sewing machine」の「マシン」が「ミシン」になったということを聞いた覚えがあります。
昭和30年代には木とブリキでできていた冷蔵庫。氷屋さんがやってきて上の段に氷を入れていってくれた。あの氷屋さんは毎日来ていたのだろうか?記憶が定かでない。そして下の段に入っていたものとしてはスイカしか覚えていない。
左のものは業務用でしょう。立派です。暖かいデザインです。Yahoo Auctionで出品されています。
時を経て,電気冷蔵庫ができてから,氷を入れる冷蔵庫は物入れとして使われ,やがて捨てられていった。「三丁目の夕日」でもピエール滝演じる氷屋さんが,捨てられた冷蔵庫を哀しそうに眺めるシーンがあった。
SONYのICF-9740。昭和56年発売だから,まだ新しい。落ち着いたデザインで,ずっとロングランで生産され続けていたが,いつの間にか生産終了になっている。最近はもっぱらICF-M260を聞いているので箱に片づけたままだ。久しぶりに出してその音を聞いてみると,16cmのスピーカーからは相変わらず暖かい音が出てくる。ラジオっていいです。
ある喫茶店で、信じられないくらいの大きさのスピーカーからJAZZが流れていました。驚きました。その音のスケールに。そのデザインに。平成の今見ると,どこかレトロでさえあります。このパラゴンの発売が昭和33年というから驚きです。このページを見てください。いかに大きいスピーカーだったかが分かります。
昭和48年頃だったと思います。私が初めてJBLのパラゴン(DD44000)の音を聞いたのは。
その後、私の拙いオーディオ遍歴が始まるのですが、とても何百万円もするスピーカーは買えません。ですから、オーディオ専門店に行って、スピーカーの聞き比べをしました。そして、いくつものJAZZ喫茶で音に耳を傾けました。そんななかで私が未だに一番すごいスピーカーだと思っているのがJBLのエベレスト(DD55000)です。音なんて言うものは言葉で表現できるものではないですが、「スピーカーから出る空気のスピードと透明さ」を感じるのです。それまでに聞いたJBLの音とは違うものです。機会があれば是非一度聞いてみてください。損はしません。
昭和36年のステレオの広告です。三菱 DSS-318。レトロなデザインです。この頃の電化製品の広告は現金正価と月賦正価の二つが併記されていることがとても多いです。月賦で買うということが日常であったというか、月賦でないと買えなかったということです。「月賦」という言葉自体が懐かしい響きです。このステレオの価格は公務員初任給の5〜6倍の値段です。

昭和36年にステレオを見た記憶が私にはありません。昭和40年も少し経ってようやく友人の家にあったステレオを見ました。テレビもそうでしたが、私が初めて見たステレオも厳かに布のカバーをすっぽりかぶせられていました。
Yahoo Auctionで、いい感じのものを見つけました。
現在の「Tivoli」も好きなデザインです。
こうして正面から見てみると,何気なく昭和レトロなデザインです。昭和50年代のコンパクトカメラですからまだ新しい部類ですかね。35mmカメラというものはレンズと腕さえしっかりしていればいい味を出してくれるものだと思います。「モータードライブ」とありますが、連続撮影でなく、自動巻き上げのことです。
このカメラで撮影した写真が見られます。
↓
NIKON EMのデザインはイタリアのデザイナー「ジウジアーロ」が手がけました。今となってはレトロと呼ばれるのでしょうか。どこか、優しさが感じられます。
昭和56年。私がカメラの市民学校に通い始めた年。私がそのために初めて買ったカメラがNIKON EMでした。発売開始は昭和55年3月。「リトルニコン」と呼ばれ、小さくて軽かった。その頃既に写真を趣味としていた友人たちはNIKONの上級機を大事そうに持っていましたが、私には予算がなかった。それでも、私はこの機種が気に入っていて、色々なものを撮りに街を歩きました。アンデパンダンの展覧会にペンギンの写真を出品したことが昨日のことのように思い出されます。

レトロな味の残るデザイン。昭和54年に発売されたカメラ、オリンパスOM10は、TTLダイレクト測光方式を採用し、アルミダイキャストボディー。絞り優先のAE機。普及機であり、その性能には首を傾げる方も多いと思うけれど、デジカメ全盛の今となってはそのボディに存在感があると思う。絞り優先のAEというのは割り切っていていい。あの頃は機能を割り切って価格を抑えた一眼レフが各社から発売された。そのせいだろうか、現在所有しているGR DIGITALも絞り優先のAEで使用している。
昭和レトロなデザインの碍子です。
碍子ってなに?と尋ねられてもうまく答えられませんねー。電線の絶縁体。うーん・・。(「がいし」と読みます)
とりあえず、すごいもの見つけました。のらくろの碍子。のらくろは田河水泡先生が昭和6年に講談社の雑誌「少年倶楽部」に連載を始めた漫画のキャラクター。オークションなので、終了すると画像が見られなくなるかと思い、かってに保存しました。ごめんなさい。
レア過ぎます。高値がつくんでしょうね。わたしはミルクガラスの電傘が大好きで、あれこれ見ていたら、見つけたのです。天井からぶら下がった電球。その天井部分に絶縁体として取り付けられているのが碍子。ほかにも色々。送電線にも使われているし、車のプラグにも磁器の部分がありますよね。あれも多分碍子と言うと思います。全部磁器ですよね。
下は昭和レトロというより大正レトロ。
