ベースボール。昭和は野球人気が沸騰していた時代。何ら変らないデザイン。

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昭和のベースボールと言えば、どうしても長嶋茂雄ということになってしまう。民放が日本テレビしかなかった我が町では、ジャイアンツの野球しか存在しなかった。くわえて、昭和40年から続く巨人のV9は子どもには多大な影響力があった。そんな中で、長嶋のプレーは破天荒だった。チャンスにめっぽう強かった。長嶋はすべてを忘れてただ野球を楽しんでいた。

当時のテレビ中継は21時に終わっていた。だから、接戦で8回とか9回で中継が打ち切られると、わたしたちはラジオにかじりついた。そんな時に打つのが長嶋という選手だった。彼の心の中では、プロ野球の主人公は自分だと信じきっていたのだと思う。

窓から秋風が忍び込む夜に独りで庭を眺めていると、「長嶋打ちました、打ちました」というアナウンサーの声が今も聞こえてくるような錯覚に陥る。

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Macintosh SE。昭和61年に発売された。わたしがMacを使い続けているのはそのデザインが好きだからに他ならない。

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スティーブ・ジョブズは、まだパソコンがMS-DOSで動いていた時代に、わたしのような素人にもキーボードとマウスだけで動くパソコンを提供してくれた。それだけで感謝である。哀悼の意を込めて彼の言葉を一つ引用させていただく。

「海軍に入るくらいなら海賊になったほうがいい」

深い言葉だ。



   シャボン玉ホリデーが始まったのは昭和36年。日本テレビで日曜日の午後6時半から30分間放送された。シャボン玉ホリデーと言えば、クレージーキャッツとザ・ピーナッツである。この放送は当初からカラー放送だったらしい。だが当然のごとく、うちにカラーテレビなどあるはずもなく、記憶は白黒放送で残っている。スポンサーは牛乳石鹸。この番組が強く潜在意識に残っているわたしは今でも牛乳石鹸を使っているから、TVCMの影響力というのは相当なものだと感心する。



   まだ子どもだった私は、なぜか、このシャボン玉ホリデーのエンディングをいつも楽しみにしていた。ピーナッツに肘鉄を食らうハナ肇さんの顔を学校でよく真似をしたものだ。YouTubeで探すと、不思議な動画を見つけた。3分45秒あたりからエンディングが収録されている。永久保存したい。

ザ・ピーナッツの「ふりむかないで」
昭和を激しく思いだす。



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アース渦巻香

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昭和も懐かしい蚊取り線香。写真は「アース渦巻香」の缶。デザインの個性に絶句しますね。

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蚊取り線香である「アース渦巻」が発売されたのは昭和15年。当時の社名は株式会社木村製薬所。アース製薬会社に社名変更されたのは昭和39年である。当時は蚊取り線香というとやはりキンチョウの時代で、アースなんて本当に効くのかと疑っていたように思います。昭和45年には水原弘さんと由美かおるさんがテレビでCMを始めました。以後次第に普及し始めたのではないでしょうか。

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「これが青春だ」昭和41年から放送された青春ドラマ。日曜日の午後8時から日本テレビで放送されていた。小学生だった私にはのめり込んでしまうドラマだった。白黒放送だった記憶がある。

主演は竜雷太さん。竜雷太さんは当時まだ無名の新人。この後、有名になり、太陽にほえろののゴリさんになり、SPECの野々村光太郎係長となる。ゴリさんはいい役者になりましたねぇ。

主題歌は布施明さん。いいです。



布施明さんがあのオリビア・ハッセーと結婚したときは驚きました。昭和55年のことです。オリビア・ハッセーは映画「ロミオとジュリエット」で当時の男の子の永遠のあこがれとまでなった女優さんです。

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「君は薔薇より美しい」は昭和54年の作品。この翌年二人は結婚するのです。近年の布施さんもいいですね。



(しばらく、You Tubeのお世話になります)

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昭和の時代に今のようなしゃれたデザインのコテージがあるキャンプ場などなかった。

中学生の頃、夏休みがくると仲のいい友達で川にキャンプに行った。女の子5人男の子5人くらいだったと思う。キャンプに行くにはテントが要る。あの頃は貸しテント屋さんがいくつかあって、夏休み前にテントを借りる予約を入れて、当日テントと飯盒を借り、バスに乗って川原でキャンプを張った。必要なものはみんなで持ち寄ったが、その中にフォークギターがあった。日の高いうちは川で泳ぎ、日が傾いてくるとカレーライスを作り、夜になればキャンプファイヤーを囲んでギターを弾き、歌を歌った。なぜか、人気があったのが、「戦争を知らない子どもたち」ジローズの曲。



中学校3年の時だったろうか。キャンプファイヤーの火も消し、みんなテントで眠る頃、わたしは一人の女の子と河原で並んで寝転び、満天の星を見上げていた。流れ星がいくつもいくつも空を横切っていく。

深夜になり、二人でトイレに行ったとき、(当時のキャンプ場のトイレというのは肥溜めの上に板を張り、四方を見えないように囲んだだけのものだった)わたしは、一本の木に無数の霊魂を見た。大きな木の幹に、まさに恨めしい表情の人の顔が十、二十と張り付いているのである。これは女の子も一緒に見たので私の錯覚ではないと思う。

怖いね、怖かったね、と言いながら私たちは河原に戻り、何もなかったかのように満天の星のささやきを聞き続けた。二人で手をつないで寝転び、寝転んだ背中が河原の石で痛くなれば起きて膝を組み、何も話さなかったのか、ずーっと語り合っていたのか、わたしには記憶がない。しかし満天の星はまぎれもなく私だった。そして山際が白み始め、一夜の青い夢が終わった。

今、思う。
あれは本当の出来事だったのだろうかと。
手をつないでいたのは誰だったのだろうと。

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瓶は十円

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昭和を思い出すコカコーラの瓶。復刻版デザインで、「コカコーラナショナルビバレッジ」の記載がある。現在の販売者は「コカ・コーラ カスタマーマーケティング」である。

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あの頃、液体は須らく瓶で売られていた。お酒や、醤油も瓶。販売するときには瓶の料金が含まれていた。だから、コーラの瓶を返しに行くと、10円が貰えた。あの頃の子どもにとって10円は貴重だった。
一日の小遣いが10円を超えることはなかった。瓶が道や公園などに捨てられていることは全く稀なことだったけれど、その千載一遇のチャンスにめぐり合えたときは嬉しかった。瓶を持って酒屋さんまで走った。そして、駄菓子屋さんのおばさんからメンコを買い、親の裁縫鋏で切り取った。

風邪で学校を休んだときは、加奈代ちゃんが給食のコッペパンを届けてくれた小学校の頃の思い出。

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夏なんです

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はっぴいえんどの結成は昭和45年。「風街ろまん」は昭和46年に発表されたアルバム。下はそのジャケット。こんなデザイン、今は思いつかないですね〜。わたしも紙ジャケのCD持ってます。



あの頃、家にクーラーはありませんでした。夏休みに、図書館で借りてきた本をボンボンベッドに寝転がって読んでいると、開け放した窓から白い風が流れ込んできて、思わず目を閉じ、時を失ってしまった午後。今でも鮮やかに蘇る夏。

舗装道路が少なかった昭和。家の屋根もとても低くて、路線バスのサイドミラーが雨樋すれすれをかすめていた昭和。夕暮れになると、ステテコ一枚のおじさんが団扇をあおぎながら家の前で座り込んでいた昭和。醤油がなくなると、隣のおばさんに貸してもらった。豆腐売りのおじさんが来るとお鍋を持って買いに走った。天井の木目の模様まで覚えていた。たぶん今でも覚えている。

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昭和どうこうという問題ではないが、家に帰るとドアのところにカタツムリがいた。ちなみにうちのドアは2階にあるので、このカタツムリは相当長い距離を這ってきたことになる。そんなことに感激するのは私だけかもしれない。

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色々調べてみたのだが、驚いたことは、水生の巻き貝が陸上で生活するようになったのがカタツムリで、カタツムリが進化して殻をとったものがナメクジらしい。すると、カタツムリに塩をかけると、「しおしおのぱー」になるのだろうか。

ちなみに調べている途中で楽しい質問を見つけた。

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「下町の太陽」の昭和38年の紅白で歌う倍賞千恵子さんです。
映画「下町の太陽」は昭和38年に松竹で制作された。
東京都墨田区の資生堂の石鹸工場とその周辺が舞台になっているそうです。



監督は山田洋次さん。山田洋次監督の作品にはいつも倍賞千恵子さんが出てくる印象がある。やはり、寅さんの印象が強いのでしょうね。倍賞さんの声の美しさと、映像の懐かしさに何度も再生してしまいます。

原発問題で色々と情報が錯綜していますが、原発がなくても電力は足りていると思いますね。足りていなかったら、節約するだけのことです。何の問題もない。この映像を見ているとそういう思いを強くします。


リッツとミレー

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「リッツ」が日本で発売されたのが昭和46年。紺と黄を使った相変わらずのデザインだと思います。ただ、昔は紺色の周りの黄色の縁取りはありませんでした。

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ヤキザキナビスコは昭和45年に創業、その最初の商品として発売された「リッツ」。昭和40年代にもなると、お菓子屋さんが存在していて、チョコレートやスナック菓子、パンなどを売っていた。その中で、土佐で美味しいとされていたのが「ミレービスケット」昭和30年頃から販売していたようです。揚げたビスケットであるところはリッツと同じですが、リッツよりも深い味がした思い出があります。野村煎豆加工店が今も販売しています。"豆の野村"として土佐では有名です。

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野田琺瑯社製「月兎印」ブランドのホーロー製タッパー。久しぶりに洗っていたら、ロゴマークが目についた。野田琺瑯らしく少し昭和っぽいレトロなデザインです。野田琺瑯社は昭和9年から琺瑯を作り続けてきた会社です。

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琺瑯とは金属材料表面に二酸化ケイ素を主成分とするガラス質の釉薬を焼き付けたもの。らしい。昭和30年代にはまだまだ高価なものであり、琺瑯の鍋など少なくとも我が家にはなかった。アルミの鍋にアルミの薬缶というのがほとんどの家庭だったのではないだろうか。友達の中で一人、国会議員の息子がいた。その子の家に遊びに行くと、ホットケーキや見たことのない洋菓子などを食べさせてくれたが、その家の台所には琺瑯の白い両手鍋があり、赤い薔薇の花が描かれていた。

梅雨の合間に、庭の薔薇が美しい。

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ジャクソン5が「ABC」で日本のテレビに出ていたのが昭和40年代。アメリカのミュージシャンがテレビに出ていることに驚き、兄弟であることに感心し、ましてやマイケルはまだ子どもだった。 あの頃はまだラジオの時代で、アメリカのヒットチャートを紹介する番組を日曜日の午後に流していた。毎週その番組だけは必ず聴いていた。歌詞の意味もわからないのに、どうしてあれほど夢中になれたのだろう。

 マイケルの楽曲の中で一番好きな歌。
 「you are not alone」 ずーっと聴いていられる。



「you are not alone」これはラブソングではない。
 「マイケルの遺した言葉/マイケル・ジャクソン氏の歌詞の日本語訳詞集」というサイトが詳しい。


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中山式快癒器。昭和54年頃に買ったもの。フォントが昭和のデザインです。

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中山式快癒器は昭和22年に日本で特許を取り、その後フランス、イギリス、アメリカでも特許を取得。写真のものはもう33年は経過している。最近、使っていなかったので、取り出してきたら、なんとばらばらになりました。そこで接着剤であちこちを止め直して復活?まだ使っていないのでわかりません。

昭和30年代は町内に一軒くらいは、按摩をしてくれる方が住んでいました。で、按摩をしてもらいたくなると、その方の家に呼びに行けば、すぐに来てくれて、自宅で按摩を受けることができました。按摩・・・按は押さえる、摩は撫でるという意味らしいですね。子どもから見ると、按摩という行為そのものが、いったい何をしているのか全く理解できませんでした。でも按摩が終わると、親は財布からお金を出し、お礼を言って頭を下げている。

ちんぷんかんぷんでした。


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静かなちゃぶ台

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昭和20〜30年頃のちゃぶ台。デザインと色がおしゃれすぎるかも知れない。

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言葉を失いそうな五月の風。
想いだけを含んだ庭のバラが咲く。

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昭和45年のコンサイス英和辞典。宇宙戦艦ヤマトのシールが貼られている。あの頃、コンサイスの辞書は私たちの中で非常に信頼性が高かった。内容だけでなく紙質にも定評があり、単語を覚えたページは食べてしまう、とか、煙草の葉を巻いて一番旨いのはコンサイスだ、とか。

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バイト先で知り合った女の子と一緒に見に行った宇宙戦艦ヤマト。私はスーパーのレジで袋詰めのアルバイトをしていた。袋詰め・・・今の方にはわからないかも知れない。あの頃はお客さんがかごに入れてきた商品をレジで紙の袋にきちんと詰めてお渡しした。だから、特に夕方などは、レジには二人の店員が必要だった。

学生時代、私はほとんどノートを持たなかった。教科書は学校に置いてあって、その教科書の空欄にノートをとった。だから、私の教科書には白い隙間がなかった。このコンサイス英和辞典は6年間使い続けたものだが、単語を赤く囲んだマークは無数にあるものの、書き込みはあまり多くない。それでも、いくつか見つけた。

vacancy
一期は夢よ ただ狂へ
I need you
fairylike lady


いろいろなことを思い出す五月晴れ。

アーァアーー

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昭和の時代には、親戚の叔父さんの山で筍を掘った。近くの小山に遊びに行くときには、ポケットに紙で包んだ塩を忍ばせた。春は山菜が沢山生えていたが、子どもの狙いはイタドリだった。イタドリに塩をかけてそのままかじりながら小山を探検していると、いくつもの防空壕があった。防空壕は怖かった。奥の見えない穴というのは大抵怖いものだ。大きく育った蔦を使ってターザンにもなった。みんなかならず「アーァアーー」と雄叫びを上げた。何の不安もなかった。明日を思い煩うこともなかった。

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庭で苺が次々と赤く実っていく五月である。

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昭和のインスタントラーメン。チャルメラ。デザインが少しずつ変わっている。

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このQUOカードの写真ではわからないが、昭和のチャルメラおじさんはズボンの膝の部分につぎはぎをしていた。それが、いつ頃からか、つぎはぎが無くなり、今では髭が無くなり、黒猫もいない。

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つぎはぎが無くなったときは、消費者からの「屋台を営む人への偏見」というクレームに対して明星食品が対応したという。しかし、チャルメラが発売されたのは昭和41年。つぎはぎは常識だった。チャルメラおじさんも、物を大事にした時代の象徴として昔のままでいた方がいいと思うのは私だけだろうか。


ちなみにチャルメラの前は昭和37年発売の「明星ラーメン」

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これはとても懐かしい。夏休みの昼ご飯、私は自分でこのラーメンを作って食べていた。まだガスバーナーをマッチで着火しなければならない時代のことである。

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昭和30年代の柱時計。何も持たなかった頃を思い出すデザインです。

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私の家で、今も現役で動いています。ボーンボーンと時を報せます。でも不思議なことが一つ。柱時計はたとえば10時には10回時を打ち、10時30分には1回時を打ちますが、この柱時計は1時に12回時を打ちます。いつも傍にいるわけではないので、13回かもしれませんが・・。たぶん30分に一回打つのと、混同しないようにしているのかも知れませんが、謎です。

曇りの日は、心が少しどんよりします。そんなことも今まで忘れていたような気がします。雨だろうが、なんだろうが、オフィスで仕事をしていると天気など気にならなかった。でも、曇った日には、少し沈んだ気持ちになるほうが我に返ることができます。

あの頃、心が晴れていると、翌日も晴れになることが多かったような気がします。天気予報が、雨の予報を出していても、「絶対に晴れる」と断言できることがありました。昭和30年代は本当に天気予報が当たりませんでした。だから、子どもは夕方になると靴を足で放り投げて明日の天気を占いました。

「明日天気になぁれ」


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これでいいのだ

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昭和の自転車のワンショット。自転車のデザインも木の塀も昭和です。

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忌野清志郎も自転車乗りでした。結成したバンド、RCサクセションの「僕の好きな先生」が登場したのは昭和45年。まだわたしは中学生でしたが、どこへ行くにも自転車だった。20kmほど離れた友達の家へも自転車で行った。冬の日も夏の日も。

 RCサクセションの「サマータイムブルース」

 日本国内の電力の3割が原発でまかなわれているという。全世帯が3割の節約をすれば原発の需要はゼロになるということかしらね。それならできますね。そして、自転車を活用しましょう。4車線道路は2車線を自転車と小型バイク専用の道路にしましょう。二酸化炭素排出量は減ります。自動車の車線は大変に混雑します。それが嫌で、自転車に乗り換える人がさらに増えます。ヒートアイランドも緩和されます。すると夏のエアコンの需要も減ります。自転車に乗っている人は健康になりますから医療費も削減されます。遠くのショッピングセンターよりも近くの商店街で買い物をしたくなります。シャッター通りのシャッターが一軒そして一軒と開いていきます。商店街の買い物には会話が必要です。人の心がふれあいます。そうなれば、テレビで天才バカボンが復活するでしょう。「これでいいのだ」と。

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アマポーラ

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昭和の時代には、あんぱんとジャムパンとクリームパン、この三つが菓子パンの代表でした。あんぱんといえば木村屋です。明治7年に銀座で売り出されたというのですからその歴史はすごいものです。明治8年4月4日に明治天皇に献上されたことから、4月4日は「あんぱんの日」になっているそうです。

しかし昭和30年代にあんぱんを食べた記憶がありません。あの頃のパンといえば給食のコッペパンだったし、おやつはサツマイモを蒸かしたものが日常でした。近所の駄菓子屋さんにあんぱんはなかったのです。

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あんぱんの上にのっているツブツブはひなげしの種です。ひなげしはスペイン語でアマポーラ。1924年に作られた「アマポーラ」という歌があります。ロバートデニーロ主演の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の挿入歌としても使われました。あんぱん以上に甘い歌です。昭和56年でしたか・・・山下達郎の「ON THE STREET CORNER 2」の一曲目がこの「アマポーラ」です。当時、東京へ向かう新幹線の中で、友人に借りたウォークマンで聞き続けた曲です。恋していた昭和です。

AMAPOLA, my pretty little poppy,
You're like that lovely flow'r so sweet and heavenly.
Since I found you,My heart is wrapped around you.
And loving you, it seems to beat a rhapsody.
AMAPOLA,the pretty little poppy must copy its endearing charm from you.
AMAPOLA,AMAPOLA,How I long to hear you say "I love you."
(出典:Wikipedia)
作詞:ALBERT GAMSE/作曲:JOSEPH M. LACALLE/


昭和40年代のセイコーの手巻き目覚まし時計。赤と金色が少し驚かせてくれるデザインです。

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40年代初期はまだみんな貧しかった。時計など、一家に一つあればよかった。今のように子供部屋などはないので、親が起きれば、自然に目が覚めるか、布団をはがされてたたき起こされるか、どちらかだった。朝食は前夜の残り物を食べ、ランドセルを背負って学校へ行った。小学生の私たちには時計は必要なかった。学校が終われば、山で遊び、川で遊び、空き地で遊んだ。そして山の端に日が落ちかける頃になると三々五々自分の家に帰って行く。そんな毎日が繰り返されただけのことだったが、不安など微塵も持たなかった。昭和。

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サクマ式・・・

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昭和を思い出させるデザインのドロップ缶です。

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千葉県出身の佐久間総治郎が国産のドロップを完成させたのは明治41年のこと。このときの名称は、正確には「サクマ式ドロップス」が登録商標です。ところが、この缶をよく見ていると、サクマドロップスになっています。調べてみると、佐久間製菓は戦後、佐久間製菓株式会社とサクマ製菓株式会社に別れたらしい。創業者のサクマ式ドロップスを引き継いだのは、佐久間製製菓で、わたしが買ったのはサクマ製菓です。だから、サクマドロップスになっているのです。

こうなれば、今度はサクマ式を買ってみるしかないと思いますね・・・。

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昭和40年代後半でしょうか。保温ジャーです。蘭の花のデザインが昭和です。メーカー名がダイクラウンと書いてあるのですが、検索してもそのような会社は見つかりません。自分で使ってみようかと思いつつ、デッドストックになってしまいました。

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昭和30年代はもちろん保温ジャーなどというものはなく、「おひつ」でした。

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夕食の時間になると、母親が丸いちゃぶ台の横までお櫃を抱えてきて。蓋を開けるとほんのり湯気が立った。あの頃、テレビを見ながら食事するなんていうことはもってのほかだった。食事ができるということそのものを大事にしていた昭和です。

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ミルキーのど飴

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ペコちゃんののど飴。そしてミルキー。昭和後期から変わらないデザイン。

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昭和30年代にのど飴は無かったのではないでしょうか。喉が痛いことはよくありました。そんな時は塩水でうがいすることが常でした。あのころ、インフルエンザの予防注射なんてしていたのでしょうか・・。あの頃は「流行性感冒」を略して「流感」と言っていたような覚えもあります。

寒風の中、鼻水垂らして元気に遊ぶ子どもはたくさんいました。鼻水をセーターの袖でぬぐうものだから、テカテカに光っていた袖口。

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昭和の冬の朝

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昭和を思い出させる写真。子どものよだれかけのデザインと大きさに昭和の思い出が蘇ります。日本古写真保存研究会のご厚意によりお借りしました。

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冬の朝でしょうか。生け垣の木は葉を落とし、子どもは長ズボンを履いています。小さな水路にかかった木の橋。道路は舗装などされていません。竹で組まれた生け垣。家の内側と外側が明確に隔てられていなかった頃の昭和を感じます。

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昭和のデザインの香りがするシャボン玉石けん。もともとの創業は明治43年という。

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あの頃は、洗濯もお風呂も全て石鹸だった。洗濯板とたらいはどの家庭にもあった。冬の洗濯は厳しかった。寒い日も、庭先にある水道からたらいに水を入れ、洗濯板で擦る。指先の冷たさは体中を収縮させた。

風呂に入りたいときは、石鹸箱とタオルを持って銭湯まで10分ほど歩いた昭和。夏はたらいに水を入れて庭に出しておき、暖まった水で汗を流し、冬も毎日銭湯に行くことなどなかった。それがみんなの暮らしだった。

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仮面ライダーは昭和46年から放映された。写真は「仮面サイダー」潔いネーミングのサイダーで、仮面ライダーの姿をデザインしているが、このシリーズは全部で9種類あるようだ。DYDOの復刻版シリーズである。

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残念ながら、テレビの仮面ライダーはほとんど見たことがない。やはり私の年代はウルトラQとウルトラマンだろうか。いや、実写としては月光仮面か。あの頃私は風呂敷をマントにして、駄菓子屋で売っていた白縁のサングラスをかけて、風を切って走っていた。親からしかられて家を追い出されることも度々だったが、いつも、近所の家で受け入れてもらい、お菓子を食べたりしていた。そうこうしているうちに親が迎えに来るのである。町内が共同体のようなものだった昭和。

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昭和の喫茶店

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昭和を思い出させるデザインの手洗い。初めて入ったお店で思わずシャッターを切ってしまった。

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昭和30年代、喫茶店でモーニングサービスというものが始まった。発祥は愛知県らしい。私がモーニングサービスを体験するのは昭和40年代のことだけれど、コーヒーと半分に切られたトースト。そしてゆで卵がひとつ。それで充分だった。あの頃は街に小さな喫茶店がいくつもあったが、今は一軒一軒と閉店してしまい、ファミレスやファーストフードに取って代わられた感がある。あの頃はマスターやママさんと話をするのがひとつの楽しみであったが、今は望むべくも無い。

先日、スティーブマックィーンの「パピヨン」を見た。日本での公開は昭和49年。胸に蝶の刺青をした男の脱獄の物語だけれど、アンリ・シャリエールという人の自伝を原作にしたものだ。男の蝶の刺青を見て、太腿に薔薇の刺青をした娼婦のことを思い出した。そして、今日交叉点で信号待ちをしていると、目の前をミニスカートで自転車に乗った女の子が駆け抜ける。その白い左太腿に蝶の刺青。

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郷ひろみも55歳を迎えた。ジャケットデザインに無限大の記号が使われている・・。郷ひろみは今が一番輝いているのではないかと思う。


あの頃、私は女子校の女の子と何度かデートをしたことがある。おとなしい彼女と公園のベンチで二人並んで座り、夕暮れまで過ごした。
「郷ひろみと野口五郎と西城秀樹の誰が一番好き?」
彼女は私に尋ねた。あの頃、この話題はみんなが共有していたことと思う。しかし、私が何と答えたのか、記憶にない。

その後20年ほど経って、奇遇にも、私は彼女の父親と同じ職場で働くことになった。彼女の父親の話では、私は何度も彼女の家に行ったそうだ。そして、彼女の母親とも随分仲良くなっていたらしい。だけれど、当時でさえ、私にはそれらの記憶がなかった。

想いを遡ってみて蘇るのは、公園のベンチと、私が着ていたヘンリーネックのTシャツ、そして夕陽に染められていく彼女の綺麗な横顔だけだ。なんだか、心が痛くなってくる。

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